節分会|名古屋城の鎮護となっている尾張四観音の一寺院「龍泉寺」

節分会

節分会

家康は名古屋城築城の際、お城の周囲にある城下町の鬼門の方角にあった四寺院を尾張四観音として「名古屋城守護神」と定めたそうです。四観音は侵略などからお城を護る陣地として、名古屋城を囲むように位置しています。
その年、歳徳の神様がいらっしゃる方角を恵方と呼び、一年間最も良い方角とされています。節分には、尾張四観音のうちの名古屋城からみてその方角に当たる寺院にたくさんの方々がご参詣になられます。

龍泉寺では節分会に御祈祷を受けて頂いた方皆様に豆まきを行っていただいております。
また、2月3日の午後5時15分より「福木・福餅投げ」を行っており、毎年多数の方がお見えになられます。福木・福餅をとられた方には一年「福」が訪れるといわれています。
※「福木・福餅投げ」は2021年以降、中止とさせていただいております。


節分について

節分と言うのは立春・立夏・立秋・立冬の前日を言うのですが、特に立春が1年の初めと考えることから春の節分が最も重視されており、一般的にはたんに節分と言えば春の節分を指すものとなっています。立春を新年と考えれば大晦日に相当するため、前年の邪気を全て祓ってしまうための追儺(ついな)の行事が行われます。その代表が「豆まき」です。

なぜ節分の夜に豆をまくのでしょう。
豆まきの習慣は、室町時代に始まったもので、中国から伝わった追儺の儀式に由来すると言われています。

追儺は鬼やらいとも言い、疫病や災害を追い払う行事で、中国では紀元前3世紀の秦の時代にすでに行われていました。疫病や災害は鬼にたとえられ、桃の弓や葦の矢、また戈と盾とで追い返すことでした。

さて、この豆まきですが、これから紹介する説話にあるような信仰が次第に定着したもので、冬の寒気や陰気を払い、新しい明るい春の陽気を迎え、そして新たな1年が病や災いにおかされることなく豊かな年になるようにとの願いが込められています。

  • むかし鞍馬の奥に、人を苦しめる鬼が住んでいました。
    あるとき毘沙門天が現れ7人の賢者を呼び3石3斗(600リットル)の大豆で鬼の目を打てと命じたという話が伝わっています。鬼の目を打つので(魔目)また魔滅に通じるからとも言われています。
  • むかし佐渡島に、人々に害を与える鬼が住んでいました。
    そこへ神様が鬼退治にやって来て鬼と賭けをしました。「今夜のうちに金北山に100段の石段を造ることが出来たら鬼の勝ちにしよう」
    鬼は夜更けのうちに99段まで石段を築いてしまったので、神様は一計を案じて鶏の鳴き真似をすると、鶏たちは一斉に「東天紅」と声をあげました。すると鬼は朝になったと思い神様に降参しました。後1段と言うところで負けたことをくやしがって「豆の芽のころまた来るぞ」と言って退散しました。神様は豆の芽が出ないように、人々に豆を煎るように言いました。

豆まき

豆まきは年男(その年のえとの生まれの人)あるいは一家の主人が「福は内、鬼は外」と言いながら煎った大豆まき、それぞれの人が自分の年の数だけ豆を食べるとこれからの1年病気にならないと言われています。また妊婦のいる家庭では、この豆を安産のお守りにもします。

  • 豆まきの豆について重要なことのひとつは、煎り豆を使うことです。万一生豆を使って、拾い忘れたものから芽が出ると、よくないことがあると言われています。
  • 近年「下に落ちた豆を食べるのは汚い」と言って、大豆ではなくピーナッツを使う人たちが増えています。この風習は新潟地方から広まったようです。また、家庭によっては、豆だけでなく、チョコレートやキャンディ、そしてお金を包んだものをまいたりするようです。
  • 豆まきの時のセリフも全国色々で「鬼は外」と「福は内」のどちらを先に言うとか、回数を何回言うとかあるようです。また、「鬼の目玉ぶっつぶせ」と言うのが加わったりするところもあるようです。
  • 新年初詣
  • 特別祈願祭
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